ペンギンと初めて遭遇する感覚──『ペンギン殺人事件』青本雪平さんインタビュー

2019年に「ぼくのすきなせんせい」で大藪春彦新人賞を受賞した小説家の青本雪平。続いて手がけた初めての長編小説『ペンギン殺人事件』(単行本のタイトルは『人鳥クインテット』)のモチーフに選んだのがペンギンだった。

身寄りもなく、引きこもり気味の17歳の柊也は、ある日、祖父がフンボルトペンギンになってしまう。祖父の世話をすることになるが、誰にも相談できないまま、なんとか平穏な日々が続いていくが、ある女性との出会いをきっかけに亀裂が入り始める……。青本自身も「奇妙ないきものを取り上げた奇妙な小説」と称する本作について語った。

ペンギンと初めて遭遇する感覚

――同居している祖父がある日、ペンギンになる。その設定だけでワクワクする部分もありますね。アイデアはどのように生まれたのでしょうか?

新人賞(第3回大藪春彦新人賞)をいただいたあと、担当編集の方から「次は長編を書いてみましょう」ということになり、いくつか案を出したなかに「祖父がペンギンになってしまった17歳の男の子の話」があったんです。でも、なぜペンギンなのかは、あまり覚えてなくて……。もともとの発想は、いわゆるカフカのような変身譚を意識していて、ペンギンがもともと好きだったわけではないんですよね。ただ、ペンギンは「人鳥」と書きますし、見た目もどこか人間に近い部分がある。物語に登場させたら面白いんじゃないかと思いました。

――初の長編ということで意識した部分は?

デビュー作であれば、「これで売れてやろう」とか「なんとしても評価されたい」といった野心みたいなものがあるのかもしれないのですが、僕の場合はそういった意識は一切ありませんでした。むしろ、こんなわけのわからない話は受けないだろうと思っていましたし……。でも、こういうどこかふざけたものでデビューしたら、それはそれで何か面白いんじゃないかなという気持ちはありましたね。

――種類はフンボルトペンギンですね。鳴き声がメーメーだったり、目が印象的だったり、主人公が冷静に観察しているような描写もありますね。

担当編集者にアイデアを伝えたときに「ペンギンにリアリティを持たせてください」と何度も言われました。でないと、一気にファンタジーになってしまうので。ただ、執筆当時、コロナ禍の真っただ中で。取材もしたかったのですが、動物園も閉まっていて、実際に見に行けず、図鑑や映像を見て自分なりに想像を膨らませて書いた感じですね。いろいろ調べると、たとえば南極でも人間はペンギンに近づいてはいけないんだけど、ペンギンのほうから仲間だと思って寄ってきたり、ヒナのときは1か所に集まっていて、その様子を見守る立場のペンギンがいたり、なんだか人間くさい動物だなと思って面白かったです。僕自身も、主人公の隼也と同じように、ペンギンと初めて遭遇する感覚でいたので、その点では書きやすかったのかもしれませんね。

若い世代の読者に向けて書いていたい

――作中では「思い返すとなんか夏の記憶ばっかりある」みたいなことも書かれていますね。 作品の舞台は、青本さんがお住まいの青森ですか?

明確に決めているわけではないのですが、青森あたりを思い浮かべて書いていますね。もちろん青森も夏は暑いので、登場させたのは、南極に住んでいるペンギンではなくて、フンボルトペンギンになりました。日本の水族館ではフンボルトペンギンが一番多く、繁殖もしっかり行われているという話を聞いていて。実際に抱えられるかどうか、日本の気候で暮らせるかどうかは意識しました。

――祖父がペンギンになってしまうのは、近くにいた人が加齢で変化することの比喩なのかなとも思いました。

私自身、高齢の祖父と二人暮らしをずっとしてきたのですが、もちろん私の話ではないんです。ただ、ペンギンになるということには、老化という意味合いも込めたつもりではあるので、そう読み解いてもらえることはすごく嬉しいですね。

――『ペンギン殺人事件』では主人公の17歳ですね。『バールの正しい使い方』は主人公が小学生で、

『バールの正しい使い方』に対しては、児童書みたいだという感想も多くて、少し意外な感じがしました。子どもを主人公にストーリーを作るときは、いつも難しいなと思いながら書いてるのですが、他の作家さんとかもその子供をの描写見てると、割と不自然だなって思う部分がけっこうありまして、それだけ難しいことだと思うんですけども、全体的な描写ですかね、話し言葉だったりだとか、考え方だったりとか、その世代によって違いもあるんでしょうけれども、大人だったら割とそのまま書けばいいところをちょっとワンクッション置く、ちょっと考えて書く必要がある。 ちょっとした部分描写も考えて書かないといけないなっていう部分がすごく難しいのかなっていうふうに思いますね。

――その難しさに挑戦する理由は?

自分より下の世代にちょっと読んでもらいたいなっていうのはずっとありまして、そうすると子供を主人公にした方が、にとってもらいやすいのかなっていうふうに思って、うん。必然的にちょっと多くなってる感じなんですけども、難しいけど書いて書き替えというか、やっぱり若い世代に向けて書きたいなっていうのは、そこは自分の中で結構大きくありますね。編集さんと話すと今の小説の読者層、30代ぐらいの女性が、うんが多くてあと50代ぐらい、50代60代以降の時代物を読む男性の層がボリュームゾーンだから、そこら辺にあって書いた方がいいよみたいなことを指摘されると思うんですけども、 でもそこだけに向けて書いてるとどんどん日細くなっていくというか、読む人がいなくなっちゃうと思うんですね。 児童文学を書かれる作家さんもいますけども、私一応一般文芸の作家だと思ってるので、その立場から若い世代に向けて、書いていけたらいいなっていうふうには思いますね。

ペンギンという奇妙ないきもの

――趣味が「夢日記をつけること」と書いてあったのですが

本当のことです。夢日記を書くと気が狂ってくるみたいな話を聞いてありますよね。3か月ぐらい書いたんですけども、あまり振るわなかったですね。もともと狂ってたのかもしれないですけど。そこもなんか何事も受け入れちゃうようなところがあるのかもしれないですね。夢ってやっぱり意識的につけないとけっこう忘れちゃうんですよね。夢日記は朝起きたらすぐスマホ取って、メモアプリに見たことを変え、書くっていうことを習慣付けないとすぐ忘れちゃうんですよね。面白いなと思って。今はつけてないので全然覚えてないですよ。創作活動には何も影響はなかったですね。

――『バールの正しい使い方』では、バールというのはいわゆる嘘のようなものなんだ、と。作り話やフィクションも、大事なのはそれをどう使うか、そのやり方しだいなんだという話でした。それが物語の叙述的な部分も繋がっていて面白いんですけど、『ペンギン殺人事件』にも、そういったどこまで書かれているのか本当なのか、一貫したテーマとしてがあるような気がしました。どこまでが本当のことなのか、『バールの正しい使い方』でも魅力。単行本よりもストーリーの部分は輪郭がはっきりした印象があります。そのぶん、祖父がなぜペンギンになったのかという部分の謎が深まった感じがあります。

単行本で出したときから感想を見るなかで、少しわかりやすいところに着地できる感じにしたいなとは思っていたところで。より多くの方に手を取ってもらえる機会が増えると思ったなかで、いま自分が書いたらこういう形になるなという感じで書きましたね。

――ペンギンのほかにも、取り調べをしている刑事がマンドリルに見えたり、同級生の高木はリス、民生委員の隣人がラクダのようなだという描写があって、動物の比喩が多いですね。「オッドタクシー」を思い出した。

そうですね。修也自身、人間をあまり人間として認識しないような部分もあるのかな、という感じでしょうか。あまりはっきり言い過ぎるのも……という感じもあるのですが(笑)。そういう意図は多少あったりしますね。

――ペンギンモチーフにした、ほかの小説とかは?

ペンギンが出てくる作品は、あえて触れないようにして書いていたんですよね。描写の一つでも参考にしてしまうと、どうしても似てしまうと思ったので。先ほども言ったように、隼也が初めてペンギンと触れ合うように、僕にとっても初めてのつもりで書きました。ウクライナの作家が書いた『ペンギンの憂鬱』はもちろん知っていて、買ってもいたのですが、読んだのは文庫の改稿が終わってからです。ストーリーもそんな切り口があったのか、と面白かったですし、ペンギンの描写も独特ですごい。もし先に読んでいたら、自分の小説はペンギンにはしなかったのかなと思いました。

――今、ペンギンは好きになった感じはありますか?

そうですね。今もたまに動画でも見たり、最近もすみだ水族館に行って、ペンギンを見てきたり。ペンギン同士の関係だとかが説明されていて、面白いなって。人間関係じゃなくてペンギン関係みたいな感じ(笑)。改めて見ると、ペンギンというのは奇妙な動物だな、と感じます。『ペンギン殺人事件』も、奇妙な動物を取り上げた奇妙な小説になってると思うので、ペンギンに興味のある方はぜひ読んでもらいたいなと思いますね。

――次回作以降は?

これから書くものは、まったく別の感じになりそうな予感があります。たぶんペンギンが登場させるかはわからない、というか、出てこないと思いますが(笑)。でも、作品が壊れない程度に、どこかでペンギンを登場させるのもいいかもしれないですね。今後、作品のどこかに必ずペンギンを登場させるので、ぜひ探してみてもらう、みたいな(笑)。『ペンギン殺人事件』については、これが一番自分の原液のような部分が入っているのかなっていうふうな作品だと思います。特別な立ち位置の作品だったのかなっていうふうに。