会議机で、桃太郎を囲むように座っているのはペンギンとアホウドリ。南極に近い島からやって来た彼らは、桃太郎に対して、突如出現した荒鷲による被害を熱心に訴えます。桃太郎は荒鷲退治を快く引き受けるものの、島はここから1万キロも離れており、到着までの道のりで2回のガソリン補給が必要になるとのこと。ペンギンは準備はできていると請け負うと、キジや猿はさっそく「桃太郎号」を整備することに……。
こんな風に始まるのは、1931年に制作されたアニメーション映画『空の桃太郎』です。鬼ヶ島以来の遠征に胸を躍らせる桃太郎一行は、途中2度のガソリンの積み足しを行いながら島にたどり着き、激しい空中戦の末に荒鷲を生け捕りにして、無事に日本へと凱旋します。
悪事を働く鬼どもを鬼ヶ島まで出向いて退治するというプロットを持つ「桃太郎」は、この1931年という時代には、もともとの昔話とは異なる意味合いが込められることになります。それは、植民地政策を敷き、大東亜共栄圏のスローガンのもとで日本の兵隊が欧米列強を追い払う、という戦争遂行のための寓意を語ることにほかなりません。
1931年とは、満州事変が起こった年であり、翌年には上海事変の時期にあたります。そんなタイミングに公開された『空の桃太郎』は好評をもって迎えられ、すぐさま続篇『海の桃太郎』(1932年)も制作されるほどでした。歴史家でアニメ研究者のセバスチャン・ロファによれば、この『空の桃太郎』こそ戦意高揚のための「日本初のプロパガンダ・アニメ」であるとのことです(『アニメとプロパガンダ 第二次大戦期の映画と政治』23頁)。桃太郎という英雄的な人物を通じて日本国の政策を礼賛し、敵を批判するためのものであったのです。その後も、桃太郎は『桃太郎の海鷲』(1943年)や『桃太郎・海の海兵』(1945年)といったプロパガンダ映画で主人公となっています。
『空の桃太郎』には、航続距離の長い新兵器としての飛行機が重要な役割を担いますが、プロパガンダ映画として「新兵器を桃太郎に操らせるというのが本来のテーマのように思われる」とも指摘されています(秋田孝宏「漫画映画の笑いと英雄 「桃太郎」と戦争」、岩本憲児編『映画と「大東亜共栄圏」』257頁)。1927年には、アメリカの飛行家チャールズ・リンドバーグが太平洋横断無着陸飛行に影響されており、1931年にリンドバーグが北太平洋横断に成功した際に、日本に立ち寄ったことが念頭にあるともいわれています(本アニメーション映画クラシックスの作品紹介より)。
ともあれ、現在から見直してみると、そのようなプロパガンダ映画としての側面よりも、ペンギンをはじめとする動物たちのユーモラスな動きを楽しむことができます。コメディ担当の中心は猿であり、飛行機が飛び立つ際に振り落とされてしまって空中を泳ぐように乗り込んだり、エンジンをかけようとするとプロペラに吹き飛ばされたり、はたまた機関銃の前にいたことで荒鷲を狙ったはずが攻撃を受けてしまったり……随所で見事なコメディアンぶりを発揮しています。
そんななかでペンギンはといえば、桃太郎に向かって一生懸命に話す姿は愛嬌たっぷりですし、よく動く口によって表情豊かなキャラクターとなっています。そして、ガソリンの積み足しの場面で荒鷲の妨害を受けつつも奮闘する様子は、この映画の最大の見どころともいってよいでしょう。何といっても、海中に落ちたガソリン缶を悠々と泳いで拾い上げ、潜望鏡のように首を長くしてみせるなど、ペンギンの魅力が余すことなく生かされているといえます。
村田安司は1920年代後半から1930年代半ばまでに30本に及ぶ作品を手がけており、その多くは動物たちを使って風刺を含んだスタイルを用いたものでした。1927年には『動物オリムピック大会』といった作品も制作しており、精妙に描かれた動物たちの生き生きとした姿は、作家の本領発揮といった部分だったといえるでしょう。