ぼくって何?森に迷いこんだペンギンの壮大な冒険譚『ペンギンのヘクター』

『ペンギンのヘクター』の主人公は、今いる水族館から別の水族館へと引っ越すことになったアデリーペンギンのヘクター。トラックの荷台で運ばれている途中、大きく揺れた拍子に外へと放り出されてしまったことから物語は始まります。ヘクターの姿は可愛らしいものですが、切り絵風の絵柄はスタイリッシュな印象も。人間の格好をするヘクターのカラフルな装いも目を引きます。

森に迷い込んだヘクターはたくさんの動物たちと出会いを果たすものの、ペンギンを知らない彼らはヘクターのことをバカにしてばかり。南極で育ったヘクターは森を見たことがありません。これまで出会ったこともない動物たちからの心ない言葉を聞いて自分を見失ったヘクター。自信をなくし、すっかり落ち込んでしまいます。

ヘクターは、みんなのいうことを きいていて、とても かなしくなりました。
たおれた木のみきに こしかけて、首をふりました。
「じゃあ、ぼくは なんなんだろう? 鳥でもないとしたら?
ぼくは なんなんだろう? かめでもない、魚でもない、あらいぐまでもない、四本足でもない。ぼくって、ほんとに なーんでもないんだろうか?」

『ペンギンのヘクター』童話館出版、1997年

そんなとき、シャパード犬のニーナが人間の男の子のズボンや靴、帽子、マフラーを渡します。ですが、あおさぎがヘクターに髪や耳がないことを指摘して、再びヘクターは泣き出したくなります。

しかし、世界中を旅してさまざまな知識を持っているカラスの助太刀によって、ヘクターが泳ぎのうまい鳥だということがわかります。そしてなにより「あたらしい友だち」と呼ばれるのです。競争することになったヘクターは、水に潜って素早く魚をとる才能や、水から飛び出して素敵なとんぼ返りを披露し、みんなの歓声を浴びます。

これはひとまず、本来の自分の姿を思い出して、矜持を取り戻すストーリーだといえますが、なにより最後のページにあるヘクターのセリフこそが大事なメッセージでしょう。自分が何者かわかることで、何が生まれるのでしょうか? その答えは実際に本をひもといてみてください。

作者であるルイーズ・ファティオは、1904年にスイスのジュネーヴに生まれた童話作家。ジュネーヴの女子大を卒業後、この絵本の絵を担当している画家のロジャー・デュボアザン(同い年のジュネーヴ生まれ)と結婚します。1927年、デュボアザンがアメリカのシルク会社にテキスタイルデザイナーとして誘われたのを機に、ともに渡米。しかし、大恐慌でシルク会社は倒産してしまい、デュボアザンは息子のために書いていた絵本づくりがきっかけとなり、雑誌の広告やイラストレーションの道に足を踏み入れるという数奇な人生を辿ります。

その後、ファティオはデュボアザンと夫婦コンビで数々の絵本を手がけており、この『ペンギンのヘクター』はその一冊。原書は1973年に刊行されました。その後、続編となる『ヘクターとクリスティーナ』を出したほかにも『ごきげんなライオン』『マリーのお人形』などを世に送り出しました。デュボアザンは1980年に、ファティオは1993年に亡くなっています。なお、デュボアザンはアメリカで最も有名な絵本作家の一人として、作品数はゆうに100を超えています。個人の代表作には『がちょうのぺチューニア』などがあります。