一度は目にしたことがある名画の中に、ときにひっそりと、ときに大胆に、はたまた思いがけない方法で紛れ込んだペンギンたち。絵画のモチーフの一部になったり、人物と入れ替わったり、居場所を新たに見つけたり、彼らは神出鬼没に姿を現します。
名画の作風を模倣し、そこにペンギンを描き込む「ペンギンパスティーシュ」を20年以上にわたて手がけてきた松島佳世さん。その変幻自在なアイデアは、どのように生まれたのでしょうか?
ペンギンパスティーシュが生まれるまで
──今回は、松島さんにペンギンをモチーフにしたパスティーシュ作品を制作するようになった経緯をはじめ、いろいろお伺いしたいと思います。まずは、名画を模倣する「パスティーシュ」という手法は、どのようなきっかけで制作しようと思ったんでしょうか?
かなり遡りますが、大学のときにサブカルチャーのサークルに入っていました。仲間には音楽をやる人もいて、いろんなジャンルの人たちが集まっていました。私は主に二次創作のパロディ漫画の同人誌を作っていました。大学では西洋美術史の勉強をしていたので、それらが後にペンギンパスティーシュにつながる感じですね。
──同人誌では、どういう作品を?
一番熱心に描いていたのが仏陀で、設定やらなんやら自分で勝手に世界をつくっていました。のめり込む性格で、仏教関係の本をひたすら読んで自分の中でキャラクターを作っちゃって(笑)。ブッダ(仏陀)と弟子のアーナンダ(阿難)くんのドタバタ4コマギャク漫画を描いていました。あとはキリスト教にもハマって、イエスと弟子ヨハネのやりとりを漫画にしていました。当時、大阪にコミックバザールという同人誌のイベントがあって、参加していました。
──すごいですね。読んでみたいです。そこから美術とペンギンパスティーシュが結びつくんですね。
結婚後、子どももある程度大きくなった頃のことです。夫は私が西洋美術史を勉強していたことを知っていたし、すでに我が子をモデルにペンギンのキャラクターを作っていたので、「名画とペンギンのかけ合わせをやってみたら?」と勧めてくれました。この頃はまだパスティーシュ(芸術模倣)をするという意識はなくて、それこそ大学時代のように得意の二次創作を生かすパロディを「好きな美術の世界でやっちゃおう」みたいなノリでした。
──なんでペンギンだったのでしょうか?
サブカルチャーのサークルの先輩にプロの漫画家になった人がいて、自分のウェブサイトを立ち上げる黎明期みたいなときに、私の作品も一緒にサイトに載せてくれることになりました。いろんな動物の絵を何点かアップしてもらいましたが、そのなかに息子をモデルにしたペンギンの絵もありました。すると掲載した翌日に先輩から「ペンギンの絵にコメントがたくさんついている!」と連絡がありました。当時の私はパソコンを持っていなくて、ガラケーしかないので何が何やらわからず(笑)。そのときに「うちのペンギンって人気なんだ!」と思いました。
──ペンギンは実際に動物園で観察したりして描いていたんですか?
もちろん家族と一緒に動物園などでペンギンは見ていましたが、どちらかというとキャラクターとして捉えていました。私の時代だと、サントリーのペンギンやピングーが人気でした。生物学にリアルに描く概念がなく、それが普通だと思っていました。昨今はリアルに制作されたペンギンが大人気ですよね、今の人たちの生物学的知識の豊富さには頭がさがります。
──作品集『ペンギン美術館』に載っている最初の作品はゴッホの「耳を切った自画像」ですね。
そこには載せていないのですが、最初に描いたのはアングルの「泉」でした。ペンギンに壷を持たせ上半身アップで描いているだけのものでした。「パスティーシュ(芸術模倣)」という概念がなかった頃の作品です。
──それぞれの画家の作家性をきちんと再現しているのがすごいですよね。アングルの「泉」を描いたのが2000年に入ったぐらいですか?
たぶんそのあたりだったような気がします。カラヴァッジョの作品も描いたのですが、コミック調に描きすぎて誰もその面白さがわからない。ただペンギンがかわいいだけの作品となりました。二次創作をしていた者としては、元の作品もわかってもらえて、それをどうペンギンで描いたかをおもしろがってもらいたいわけです。この辺りから、単なるパロディではなく芸術模倣=パスティーシュを意識しはじめました。それからゴッホの作品を描いたと記憶しています。ムンクの「叫び」のように部分的にパスティーシュした作品もありますが、基本的には、作品全体をパスティーシュ(芸術模倣)してペンギンを見せることを心がけています。
「魔法」をかける
──それでゴッホの作品を2002年ぐらいから書き始めたんですね。技術的なことでいうと、油絵をアクリルで再現するという感覚なんでしょうか?
子どもがいたので家では油絵ができないという理由が大きくありました。それでアクリルで見よう見まねで描いていたわけですが、油絵のように見せるための裏技があるんですよ。最後にちょっと魔法をかけるんです。最初、それをやったら一気に油絵っぽくなって「すごい!」と思いましたね。
──魔法ですか?
技法的にいうと、グレージングですね。絵に透明な絵の具を何度も薄くかけて画面に深みを持たせています。ゴッホをアクリル絵の具で描くとどうしてもイラストっぽくなって油絵の風合いや趣が出なかったので、何度も試行錯誤してこの技法にたどり着きました。また、皆さんがそれぞれ名画のイメージを持っているので、その目で私の作品を見てくれているという魔法もあると思います。
──その絵が好きな人ほど、楽しんでくれるというのはありそうです。そういった技術的な部分に加えて、アイデアがすごいですよね。どの作品もペンギンの登場のさせ方がおもしろくて、たぶんAIにはできない発想力じゃないかなと。モンゴリアンのような抽象画などは、すごいアレンジですよね。ロートレックのペンギンの入れ方も、すごくおしゃれです。
ペンギンアート展というペンギン好きの人が集まるイベントがあって、帽子だったりかばんだったり、ペンギンが付いたいろいろなものを身につけた人がたくさんいました。まるでこのロートレックの世界でした。世紀末のパリの華やかな狂乱ぶりを思わせて、これはぜひ描かなくてはと思いました。
2つのターニングポイント
──ターニングポイントになったのはどの作品ですか?
一つはゴーギャンの作品ですね。2006年に長崎ペンギン水族館で展示の機会があって、そのとき初めて夜間のペンギンを見ました。普段は昼間の営業中のペンギンしか見れないわけですが、就業時間が終わって疲れた顔をして放っといてくれと言わんばかりのペンギンの姿をはじめて見たとき、その生々しさに衝撃を受けました。自分はまだペンギンときちんと向き合ってないことに気づかされました。
──そこからペンギンを見る目が変わったんですね。
そうですね。それまでは単なるキャラクターとしてしか見てなかったペンギンが、生存している生の生物であるという風に意識が変わったという意味でターニングポイントでした。この時の経験でこのゴーギャンを描きましたが、ペンギンたちの目の中には黒目がありません。ペンギンの生気に圧倒されて描けなかったのです。
──ルソーの「夢」には、たくさんの種類のペンギンが描かれていますね。
「ペンギンのことをもう少しちゃんと勉強しよう」と思っていたときに、京都のギャラリーから「個展をしませんか?」と誘われました。何を描こうか悩みましたが、二次創作が好きな美術オタクとしては、大学時代に一番好きだった19世紀末の名画とペンギンを掛け合わせて、自分の作家性を前面に出すことにしました。エゴン・シーレはその当時の好きな画家の一人でした。ルソーも大好きなので描こうと決めていましたが、ルソーは森の中を描いた作品が多い。どうしようとまた悩んでいました。するとそのとき新聞で森の中にいるペンギンの存在を知りました。「ペンギンは南極だけじゃないんだ!」これで大手を振ってルソーが描くことができると大喜びしました。
──それでルソーが描けるとなったわけですね。
そう。せっかくペンギンのことも勉強し始めたので、ルソーの作品の中の動物をいろんな種類のペンギンにして、森の中にもペンギンがいることを知ってもらおうと思いました。ペンギン会議研究員の上田一生先生にメールをして、ペンギンの18種類について教わったのもこの頃です。ルソーの作品タイトルは「夢」。私のペンギンキャラクターとリアルペンギンたちとの夢の共演となりました。二つ目のターニングポイントはまさにこのルソーです。その後もリアルなペンギンと自分のペンギンとの折り合いの課題は残ります。作家性を出すには自分のペンギンキャラクターを追求すべきだとは思うのですが、リアルペンギンも描きたいしで。実は最近、その二つを合わせた新たなペンギンキャラクターを登場させつつあります。これからの展開を見守っていてください。
──クールベの「こんにちは、クールベさん」では、松島さんのペンギンと、リアルなペンギンが出会っていますね。
この作品は、その当時の心の葛藤が出ていますよね(笑)。
──ご自身の作品を「ペンギンパスティーシュ」と呼び始めるのも、その頃ですよね。
友人が名付けてくれました。私が描いているのは単なるペンギンによる二次創作のパロディではなく、元の名画のすばらしさもわかってもらいたいという愛にあふれているということなので。
──ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」やルソーの「夢」はかなり大作ですね。
そうですね。ゴーギャンのこの作品を描いたときは自殺しそうになりました。
──それは驚きです……。
この作品はゴーギャンが文字通り「死にたい」と思っていたときに遺作のつもりで描いたものです。だから誕生から死までを描いているわけですが、実際は描き終わったときゴーギャンはすっかり満足してしまって、生きながらえました。しかし、私は制作途中に同じようにネガティブ思考になってしまって。
──ゴーギャンが憑依した感じだったんですかね。
まさに。そもそもそんなにネガティブな人間じゃないのに、「私なんて生きている価値もない」と叫んで、当時中学生だった息子が「お母さんそんなこと言わないで!」みたいな。夫が長期出張中だったので、余計に心配させました。でも、ゴーギャンの作品を描き終わったら、私も憑き物がとれたみたいに「あれは何だったんだろう?」という感じでした。いわゆるイタコ状態だったのですね。
パスティーシュを描く楽しみ
──『ペンギン美術館』には、ゴッホ展に行ったとき絵が話しかけてきたという経験も書かれてましたけど、そういう気質は昔からだったんですかね。
大学時代から「美術館には画家と会話しに行く」と言って展覧会に足を運んでいました。今でも絵を見るたびに「今なんか言ってんなぁ」「そんなこと言われても」というのはありますよ(笑)。
──そもそも描く作品はどのように決めているんですか?
その時々の自分の考えや気持ちに寄り沿った名画を選んで描いています。個展で急ぎ何点か制作しなければならないときは、自分が知っている名画を図版で改めて見たりして「ここにペンギンがおるな」みたいな発見もあります。
──作品選びは直感的なものがあるんですね。それから「描くぞ」と決めたあとに改めて作品と対話が始まるんですね。
んー。描いている最中に、画家に勝手に乗り移られるんですよ(笑)。絵を描くって、すごく孤独な作業じゃないですか。だから「なんでこんなところにこの色を置いたのかな」「なんでこんな構図にしたのかな」などということをずっと想像しながら描いていると、だんだん気持ちがその画家になってくるんです。絵を描く前は、その画家についての資料を読めるものはすべて読み直してから描いているので、どの作品がどんな時期に描いているのかも頭に入っているわけです。生涯を知って描くとなると、もう作者になりきっている。
──描いている姿を見たら怖いかもしれませんね……。
特に息子には怖がられます(笑)。自分で一番怖かったのは「太陽の塔」を作っていたときです。長崎ペンギン水族館でも展示したことがあるのですが、布で立体の「太陽の塔」を制作しました。胸の赤いイナズマは血管も表現していると感じてから、一気に「芸術は爆発だ」気分があふれ出し、自分はすっかり岡本太郎になっていました。ほんとならもう晩ご飯を作らないといけない時間なのに、岡本太郎からいつものお母さんに戻らない……そういう姿を見るのを息子は本当に嫌だったみたいですね(笑)。
──絵を描くときには、作品の技法的な再現という難しさもあるし、その作家に感情移入してしまうということもあるんですね。
ユトリロの作品を描いたときは「意外と普通の人やねんな」と感じました。お酒を飲みすぎてアルコール依存症になった人なので用心していたのですが、描き出すとあまり乗り移ってこなかった(笑)。彼は元々からの精神異常者じゃありませんでした。母が奔放な人で育児は祖母に任せっぱなし。でも祖母は子守りが嫌い。寝かしつけるためにお酒を飲ましていました。アルコール依存症のために10代で精神科医のところに行きますが、治療のために絵を描くよう勧められました。ユトリロをパスティーシュしているとその回復過程を感じます。
──歴史上の画家って、やはり男性が多いですよね。例えば、竹久夢二のようなモテ男みたいなのも憑依するのでしょうか。
んー。竹久夢二って少女漫画の元祖みたいなところがあるじゃないですか。だから、憑依する感じではなかったのですが、違和感もなかったですね。少女漫画を描くみたいに夢二と一緒に楽しく綺麗な女の人を描いているという感じでした。竹久夢二や蕗谷虹児、中原淳一などは19世紀の西洋美術の影響を受け、それが萩尾望都さんや竹宮恵子さんの作品にも影響を与えている。竹久夢二は西洋美術史の流れが少女漫画に繋がるおもしろさがあります。
油絵に本格挑戦
──初個展が2004年だったんですよね。今年は20周年ですね。
まだ20周年記念の個展の話も何もないですが(笑)、よく続いているなとは思いますね。今は、ペンギンをモチーフしたアート作品を作るのも当たり前の世の中になっていますが、昔は「なんでペンギンなの?」ってさんざん言われて、相手にもされませんでした。
──でも、松島さんが第一人者としていたからこそ、今ではペンギンアートで展示をやってもたくさん人が集まるような時代になったんだと思います。それこそファーストペンギンじゃないですけど、やっぱり最初にやる人が一番すごいと思います。
ありがとうございます(笑)。
──今はどのような作品を描いているんですか?
実は今、さすがにアクリルの限界を感じていまして、油絵の挑戦を再開しました。先ほど「魔法をかける」という話をしましたけど、魔法が通用しない名画も当然ながらあります。これからもペンギンパスティーシュ作品を描くためには油絵に挑戦するしかないと思いました。2019年の個展の後、意を決してアトリエを借りました。ありがたいことに借りてから壁画制作の依頼が来て、アトリエに行けない日々が続きました(笑)。やっと昨秋あたりから本格的に取り組み始めました。まだまだ練習レベルで小さい作品が中心ですが、いずれ大作に挑戦したいと思っています。
──油絵の作品で個展も楽しみですね。
油絵って時間がかかるんですよね。20周年は無理だけど、友人から「25周年にすればいいじゃん」と言われて。「じゃあ、そうしよう」と思ったのですが、大きな作品となるとどのくらいかかるやら……という感じです。もともとアクリルも習って覚えたわけではなくて、自己流でした。油絵も技術の習得というよりは、描きたいことが表現できるようにと目下ひたすら研究中です。
──最後に、キャリアを重ねて見えてきたペンギンの魅力は何かありますか?
私は歴史が好きなのですが、私にとって一番のペンギンの魅力は、ペンギンの存在がなかったら15〜16世紀の大航海時代はなかったかもしれないっていうことですね。
──大航海時代?
世界の歴史が本格的にグローバルになった時代です。スペインやポルトガルの船がなぜ長い間航海できたかというと、南半球の島々にペンギンがいたからです。捕まえて食べていました。彼らの貴重な食料の補給になったのです。ペンギンは鳥と違って飛ばないので捕まえやすいですから。また、しぼって燃料の油にしたり、あるいはペットとして癒されたりして「あの島に立ち寄ればペンギンたちがいるから航海が続けられるぞ!」となりました。つまり、ペンギンがいなければ、グローバルな世界になるのはもっと遅かったのではないかと思うわけです。ペンギンにしてみれば迷惑なことだったとは思いますが、ペンギンの存在が世界史に大きく関わっていたことはすごいことだと思います。
──ペンギンを中心に世界の歴史が書けそうですね。
詳しくは上田先生の本を読んでください(笑)。
──ただ、ペンギンが絵画の主題になっているのはあまりないですよね。
美術史の観点で見るとそうですね。16〜17世紀くらいの王侯貴族のために描かれた巨大絵画には珍しい貝殻や動植物と一緒にペンギンも描かれていますが、少ないです。むしろ博物史学の観点から探してみると、世界の珍しい動物としてペンギンが多く描かれています。そのうち暇になったらじっくりとこの方面の研究もしたいなと思っています(笑)。
展示のお知らせ
「MINI〇展」5月21日(土)〜6月10日(金)
12時〜19時 日・月・祝休廊
場所:Sansiao Gallery(東京都中央区日本橋2-3-9三晶ビルB1)
http://sansiao-gallery.com/
ミニマルアートの作品と絡めて、60名の作家が「ミニでマルい」作品を出品。松島佳世さんは油絵の作品を1点出品します。