『スターリンの葬送狂騒曲』
The Death of Stalin
2017年、イギリス・フランス、アーマンド・イアヌッチ監督
物語の舞台は1953年モスクワ。独裁者の突然の死によって引き起こされるソビエト連邦内の権力闘争がブラックユーモアたっぷりに描かれる。原題は「スターリンの死」というシンプルなもので、この邦題はストーリーの雰囲気にはよく合っている。基本的には史実に沿って物語は展開していき、前半はスターリンの死を中心に、後半からはラヴレンチー・ベリヤの処刑までの内実のゴタゴタを追っていく。
スターリンの死後、ソ連の最高指導者に就任するニキータ・フルシチョフにスティーヴ・ブシェミが扮しているように、全編は英語によって製作されており、ユーモアの感じも上品で英国流といえる。監督のアーマンド・イアヌッチはテレビ出身で、ドラマ「官僚天国!~今日もツジツマ合わせマス~」で名を挙げた人物である。映画でも『イン・ザ・ループ』などの政治コメディを手がけているので、このジャンルを得意としている人物のようだ。ほかにユアン・マクレガーやジュード・ロウが監督して参加した『チューブ・テイルズ』の一篇も担当している。
スターリンの死までを描く前半は、独裁者の影がそこかしこに忍び寄っているモスクワの様子と、昏倒したスターリンを診察する医者探しでてんやわんやする側近たちの姿が面白おかしく描かれる。物語の冒頭では、ラジオの生放送のために演奏されたコンサートを聴いたスターリンが録音を求め、ディレクターが急いで同じ曲の再演奏を準備するというエピソードが描かれる。市井の人々が粛清を恐れている様子を伝えるのにはうまい演出だ。スターリンの前で披露されたジョークを妻に記録させてまで、独裁者好みのネタを仕込むフルシチョフの狡猾な道化ぶりもおもしろい。
このなかでフルシチョフやベリヤをはじめ、ゲオルギー・マレンコフ、ヴャチェスラフ・モロトフ、ラーザリ・カガノーヴィチ、アナスタス・ミコヤンなどの側近たちが紹介されていく流れもスムーズだ。そして、コンサートの録音盤に入っていた罵倒のメモを目にしたスターリンは突如咳き込み、昏倒する。その後、側近たちは容体をみるために医者を呼ぼうとするが、そのうちの一人が「有能な医者はみんな反逆罪で獄中だぞ」というのは医師団陰謀事件をめぐるジョークである。
これは1953年1月、クレムリンで働くユダヤ人医師たちが治療のふりをして政府高官を毒殺しようとしているとの嫌疑をかけられて逮捕された事件のことで、アレクセイ・ゲルマン監督の『フルスタリョフ、車を!』(1998年)はこの事件を背景にしている。ちなみに『スターリンの葬送狂騒曲』にもフルスタリョフが少しだけ姿をみせる。別荘でスターリンが意識を失っている間に機密の書類を手に入れたベリヤから、その束を手渡された運転手がそれである。
NKVD(のちのKGB)や赤軍(のちのソビエト連邦軍)をも巻き込んだ派閥争いを描きながらも、側近たちはどこまでも人間臭く、意識を失ったスターリンをベッドまで運ぶ大騒動や、議論をする場面の無能ぶりなどは大いにおかしい。こうしたシチュエーションから生まれる笑いも多分に含まれているが、むしろウィットに富んだ細かいジョークのほうを丁寧に味わうべきかもしれない。
なかでも映画の魅力の多くを支えているのがブシェミである。フルシチョフはスターリンが健在のときは道化のような存在でありながら、最終的には最高指導者に行き着くわけだが、カリスマ性や単純な狡猾さとも無縁な、どこか不気味な雰囲気もある男として掴みどころがなく絶妙なバランスを保っている。一方でベリヤを演じたサイモン・ラッセル・ビールはアダム・マッケイ監督の『バイス』に登場したクリスチャン・ベール演じるチェイニー副大統領を思わせる風貌で、無能なトップを裏で巧みに操る人物としてぴったりと合っているといえるかもしれない。
全体的に気楽に楽しめる作品ではあるが、ベリヤ処刑のどことない達成感のなさ、そして後にフルシチョフが最高指導者になるものの、レオニード・ブレジネフによって失脚させられることが淡々と語られる字幕の余韻には、どこか寂しさも感じられる。この雰囲気はから騒ぎの終わりのようで、やはり邦題の「葬送狂騒曲」というのは、うまいネーミングであると実感するのであった。
独裁者を描いた最近の映画でいえば、2015年の『帰ってきたヒトラー』と、そのリメイクである『帰ってきたムッソリーニ』(2018年)が有名だと思うが、こちらもコメディである。また、笑いという点ではやや中途半端になっている感もある『ジョジョ・ラビット』(2019年)は、ファンタジー寄りのコメディといった感があり、監督のタイカ・ワイティティ自身がヒトラーを演じている。ナチスを題材にする映画は今でも多く作られているが、独裁者その人が登場する映画で直裁的な悪として描くものはむしろ希少なような気もする。たとえば『アイアン・スカイ』(2012)では、第2次世界大戦で敗北したあとも月の秘密基地に潜んでいたナチスが地球侵略作戦の遂行する模様を描いたコメディであり、もはや現代では独裁者という存在もキャラクター化されていくものなのかもしれない。
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