『ボーダーライン』ヴィルヌーヴが描く砂塵の光景

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『ボーダーライン』
2015年、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督

砂塵が舞い上がり、視界が覆い尽くす。重力に屈して砂埃が鎮まろうとするときには、すべての物事は一変してしまっている。

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これこそがヴィルヌーヴ映画を象徴するイメージである。『ボーダーライン』の冒頭、誘拐事件の容疑者の自宅に奇襲捜査で突撃したFBI捜査官のケイト・メイサー(エミリー・ブラント)が目撃する、爆発によって一面が砂塵に包まれた光景ももちろん例外ではない。そして、この場面は映画全体を予告する。もはや全貌を見通すことのできる場所などないのだということを。

ケイトは誘拐事件の主犯とされる麻薬カルテルのボスであるマニュエル・ディアスの捜査に加わることになる。そこからはケイト本人も、そして観客も、一寸先も見通すことはできない。ラストにいたるまでの展開は予測不可能で、ケイトとともに状況に翻弄され続ける。

ケイトが捜査を指揮するマット(ジョシュ・ブローリン)やアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)からは何も聞かされないが、ただ見ることばかりを強いられる。「事実を知りたい」というケイトに対してかけられる「ただ見ていろ」という言葉は、観客へのメッセージそのものなのかもしれない。だが、見えるようになったときには、すべてが終わってしまっている。ヴィルヌーヴが描く物語とは、そのことを伝えているのだ。

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