『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』
A Rainy Day in New York
2019年、アメリカ、ウディ・アレン監督
ウディ・アレンの過去のスキャンダルが再び話題を呼んだことにより、公開が危ぶまれていた『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』だが、ようやく日本でも最新作が日の目を見ることとなった。
ウディ・アレン作品の語りがたさ
この作品について語ろうとするとき、やはりアレン自身の問題をどう扱うか? というのも争点の一つになるわけだが、むしろ作品自体にスキャンダルの影すら見出せないことが、アレン作品を語ることを逆説的に難しくしているといえるだろう。
いうなればアレン作品には、たとえばロマン・ポランスキーの映画で見て取れるような作家個人の性癖のようなものも映り込まない(もちろん『マンハッタン』(1979年)で17歳と付き合う42歳のアイザックを気持ち悪いと思う観客は少ないだろうが)し、作品自体を作家と切り離して語ることが難しくない。つまりは、アレン作品の持つ、ある種の「語りやすさ」がスキャンダルの重みと反比例するかのようですらあり、それが作品を語ることを躊躇させるのだ。

ともあれ、個人的にはアレンのスキャンダルについては、信頼できる法的な判断を待つほかない、という立場をとりたいと思う(心情的には作品自体が駄作で、もはや擁護したくなくなるようなものであればよいのに、と思わざるをえないのだが)。
ウディ・アレンの最高傑作?
何より『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は軽やかなラブコメディに仕上がっており、ウディ・アレンの最高傑作の一つであるということもできるほどだ。映画のタイトルにある「雨」と「ニューヨーク」というのは、ウディ・アレンのフィルモグラフィーで重要な役割を果たしてきたモチーフである。『ブロードウェイのダニー・ローズ』(1984年)や『ウディ・アレンの重罪と軽罪』(1989年)でもアレンが演じる主人公が雨に濡れるシーンが印象的だったが、アレン自身も「雨は大好きだ」と公言している(スティーグ・ビュークマン『ウディオンアレン 全自作を語る』大森さわこ訳、1995年、キネマ旬報社、221頁)ほどで、まさにアレンらしい原点回帰の作品となっているのである。
物語の主人公は、ティモシー・シャラメ扮するギャツビー。裕福で文化的資本にも恵まれた家に生まれたのだが、そのことを嫌悪している、というモラトリアム真っ只中のキャラクターである。映画や文学、音楽を愛し、同じ大学の恋人アシュレー(エル・ファニング)をミュージカルの「ハミルトン」を観ようと恋人を誘ったりもする。そんな自分自身のスノッブさの血統を証明するかのような、スノッブな家族たちに嫌気がさしているのだ。母親の勧めで入ったアイビーリーグの大学も早々に辞めてしまい、実家から遠いアリゾナにあるヤードレー大学に通っている。このヤードレーという名も英国王室御用達の香水の名前を思い出されることから、由緒ただしき母親も認める大学であることも想像に難くない。

そのアシュレーはあるとき学校の課題として映画監督のローランド・ポラード(リーヴ・シュレイバー)のインタビューのために、マンハッタンを訪れるになる。もともとニューヨーカーであるギャツビーもこれを機に週末をマンハッタンで楽しむことに。アリゾナ生まれのアシュレーに街を案内しようと張り切るが、ポラードに気に入られて新作の試写に誘われたアシュレーから約束をキャンセルされてしまう。
ティモシー・シャラメとエル・ファニングの魅力
何といってもティモシー・シャラメとエル・ファニングというチャーミングカップルがキュートで軽やかな雰囲気をもたらしている。シャラメのキャラクターはアレン自身が演じるキャラクターを思わせるが、『アニー・ホール』のときのアレンが35歳という高齢で、青年と呼ぶにはもはや遅すぎる年齢だったことを思うと、何とも若々しい魅力を放っていることだろう。スノッブだが、それがかえって魅力となっているところも、役者として達者であるという印象を与える。ファニングが演じるアシュレーも、緊張するとしゃっくりが止まらなくなったり、かつてニューヨークの路上でバーキンが200ドルで売られていたと意気揚々と話したりと、素直で少し抜けたところもある愛すべきキャラクターとなっている。

そして、シャラメとファニングがことごとくニューヨークの街ですれ違うなかで、アレン作品に非常にしばしば登場するような、年上の地位も財力もあるが退屈な男と交際しているチャン(セレーナ・ゴメス)や悩める映画監督のポラード(リーヴ・シュレイバー)、妻の浮気を偶然に目撃してしまう脚本家のダヴィドフ(ジュード・ロウ)、イケメンだが少し軽薄な印象も受ける俳優ヴェガ(ディエゴ・ルナ)、セックスに不満のある兄夫婦たちの群像劇のような入れ替わり立ち替わりも、今作ではバランスよく嫌味もなく楽しめる。そして『カフェ・ソサエティ』(2016年)、『女と男の観覧車』(2017年)に続いて撮影を担当したヴィットリオ・ストラーロによる雨の降るニューヨークは上品さをたたえている。
さりげなくも憎からぬ演出
そんななかでハイライトとなるのは、シャラメがピアノでジャズの「Everything Happens to Me」を弾き語りするところだろう。こういうシーンはアレンが演じたのではコメディになってしまうし、ティモシー・シャラメという俳優を得たことでストレートに美しく収まっている(というわけで、今回のスキャンダルはつくづく残念だ、と思わざるをえないのだが)。ここでシャラメがゴメスとの会話のなかでグランド・セントラル駅が登場する映画が話題に上がるが、これは『恋におちて』(1984年)だろう。つまりは浮気(この映画では不倫)することが暗に予告されていたということがわかり、こうした憎からぬ演出も悪くない。
こうしたギャツビー(ニューヨークを経めぐるという意味で『ライ麦畑でつかまえて』への遠回しの言及といえる)の1日は、ちょっとした成長譚となっており、偶然バーで出会ったエスコートガール(ケリー・ローバッハ)を実家に連れていったことで、同族嫌悪の対象だった母親と思わぬ和解を果たす展開も、いい意味で教訓をもたらさないので好感が持てる。
と、ここまで書いて見て、やはりアレン作品の最高傑作なのではないか、と思わざるをえないのであった。
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