『髪結いの亭主』
Le Mari de la coiffeuse
1990年、フランス、パトリス・ルコント監督
この映画は、双葉十三郎っておじいちゃんが、『外国映画ぼくの500本』って本の中で取り上げてるくらいだから、いわゆる「午前十時の映画祭」でかかる映画のように評価の定まった作品なんだろうなってことは思っていた。パトリス・ルコントに関して言えば、初めて観たのが『列車に乗った男』で、そのあと『歓楽通り』『ぼくの大切なともだち』を立て続けに観て、いまいちピンとこず、手を出さずにきたのだったけれど、ある日、知り合いの家で『仕立て屋の恋』を観て、「これはイイ!」と思って、さっそく自分で、後日『髪結いの亭主』を観たのだった。観たのだったが……
この映画に関しては、ひどく期待が外れた感じだった。というか、怒りすら覚えてしまいそうになったのだ。なぜかという前に、まず、『髪結いの亭主』のあらすじは……
ある日、美しき髪結いのマチルド(アンナ・ガリエナ)が働く理髪店にふと立ち寄ったアントワーヌ(ジャン・ロシュフォール)。唐突にマチルドにプロポーズしたアントワーヌは彼女と結婚する。少年時代からの夢をかなえたアントワーヌは、マチルドのそばで濃密な日々を送るようになる。
ということなんだけど、まず、このアントワーヌって男は少年時代に、すごくグラマーな女性の理髪師さんの香りとそれから胸が好きだったというエピソードが語られる。まあ、それはいいとして。ルコントの作品は上に挙げたものしか観ていなのだけれど、どうも「覗き見」的なフェティシズムがあるような気がする、そういう少年時代のある種甘美な思い出と共に、主人公はこの理髪師さんの突然の死という経験を経る。そんななか、少年アントワーヌは、将来の夢を父親に訊かれて、「髪結いの亭主!」と答えて制裁を食らうんだけど、まあ、そういう思い出がありました、と。
そのあと、彼が大人に、だいたい五十過ぎくらいになったマチルドがある日、ある街で床屋を見かける。そこにいたには美しい女性理髪師マチルドだった。そして彼らは出会い、結婚する。するんだけど、最後まで観ていて、どうしてこの男にマチルドが惚れたのかが、さっぱりわかんないのだ。少年時代からの夢だっていう理髪師と結婚するっていうのも、「はぁ……」って感じだし、いちばん疑問符なのが、「こいつ仕事してねえのかよ!」ってこと。この男、マチルドが一生懸命仕事してる間に、ずっと待合の椅子のところで新聞を読んだり、マチルドのことを見てたりするんだけど、「え? こいつ今までどうやって生きてきたの?」って思って、しかも、お客さんの洗髪中に、マチルドの下着を下ろしたりっていうプレイまで始める始末で、「もう…勝手にやってくださいよ……」とさえ思っちゃう。
それで、この映画の肝はやはりラストだろう。ラストがなかったら、これ何なのって感じなんだけど、今までうだうだ言ってきたことがあるから、ラストシーンに何のカタルシスも得られない。この映画の中で、マチルドという人間の人となりとか、過去っていうものが一切見えない。見えないからこそ、彼女の「自分には過去がないの」という言葉が、何か悲しい、語ることをためらう過去があるんだろうなって思わせる。彼女の語りえぬ過去、それが今の幸せの絶頂のなかで、このままの幸福のなかで生きることが、何かしらのかなしい顛末に向かわせることを恐れさせ、彼女は幸せの絶頂の中でなら、アントワーヌと永遠に生きられる。それで彼女は死を選択する。というのはわかる。でもやっぱりアントワーヌが理髪師と結婚する夢ってのがあまりにも、応援しがいがないし、もしそれがばかげた夢だっていう要素とするなら、他の仕事とか、マチルドのために尽くすとかしろよって言いたくなっちゃう。それにあの、謎のアラブ風のダンスっていうのが、もう、二人の世界の「魔法」みたいなもので、全然アントワーヌの魅力にならない。だってこいつ、「何にもしてねえじゃん!」
『髪結いの亭主』の文句を言っていたら、ウディ・アレンの『人生万歳!』をふと思い出した。まあ、この二つの共通点とかはどうでもいいような気がするんだけど、出会いとして、ありえねえだろ! ていうのを感じること。しかし、別にそんなにありえないことが起こるのが映画なんだし、それは大歓迎なんだけど、『人生万歳!』の場合は、彼らが出会いが全くの偶然が呼んだものだとしても、その後の彼らが引き合ってゆく過程とかっていうのを納得させてくれる。やっぱり、今までの人生で、全く共有することがないような関係だったボリスとメロディが、(特にメロディが、ボリスに)近づこうとしてゆく様、これがすごい心地よいものだし、だからこそ、その共有の末にやって来るだろうと、絶えず予感させられる、別れっていうのがゆっくり胸に届くのだ。これは、ウディ・アレンのぼくが一番好きなところでもあるんだけど、ある種の“童貞”っぽさということが嬉しいのだ。いわゆる、大澤真幸とかの「恋愛の不可能性」なるものの心地よさ。あの、『泥棒野郎』に出てくるヒロイン(名前忘れた)の白いワンピースに黒髪ロングとか、もうなんて言うか「え……こいつ……童貞なのか……?」っていうイメージだし。
それで何が言いたいのかというと、『髪結いの亭主』のマチルドが過去を持たない美女だっていうことと、彼女とあの理髪店のなかだけで世界を作り上げ完結させようとするあたりが、すごく童貞っぽいと思っちゃうこと。だから、あそこでマチルドが死んでしまったとき、アントワーヌはあの理髪店から出て行かなくてはならないのだ。だってじゃないとマチルド救われない気がするのだ。『人生万歳!』でもメロディにフラれたとき、ボリスは窓の外へ飛び出しただろ!(まあちょっと違うけど) まあ、何が言いたいのかっていうと……アントワーヌは許さん!
と、アホみたいに書いてきたのだけれど、この映画の感想とかを同世代に訊いてみたい気がする。果たして……
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