『クローバーフィールド・パラドックス』
The Cloverfield Paradox
2018年、アメリカ、ジュリアス・オナー監督
『クローバーフィールド/HAKAISHA』の前日譚と位置づけられているが、『10 クローバーフィールド・レーン』(2016年)とともにいわゆる精神的続編というべきものだろう。設定や登場人物に繋がりがあるわけでもなく、物語にも直接的な関連はない。
そもそも『クローバーフィールド/HAKAISHA』のヒットは宣伝の段階から始まっており、劇場公開前に情報を一切明かされることなく、YouTubeに架空の日系企業の起こした海底油田事故のニュース映像の断片できな動画が投稿されるなどの話題とともに高まった結果によるものだろう。映画の演出もPOVによる主観ショットや手持ちカメラを装った映像を用いるなど、1999年の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』などを端緒に、『パラノーマル・アクティビティ』(2007年)などともに盛り上がりを見せた擬似ドキュメンタリーの系譜に連なるものだ。
『クローバーフィールド・パラドックス』は科学的な知見がモチーフとなっているようなところなどを含めて、どちらかというと正統的なSFといった趣がある。むしろ『クローバーフィールド/HAKAISHA』の続編として製作のJ・J・エイブラムスが意図していたのは『SUPER 8/スーパーエイト』(2011年)だとされている。
物語は2028年、近い未来に訪れるエネルギー資源の枯渇問題に備え、宇宙ステーション「クローバーフィールド」ではおよそ2年をかけて「シェパード粒子加速器」による新エネルギー生成の実験が行われていた。乗組員のエヴァ・ハミルトン(ググ・バサ=ロー)は着任前に夫のマイケル(ロジャー・デイヴィス)から「君が行けば世界は救われる。行かなければ誰も生き残れない」と背中を押されていた。実験は何度も失敗してきたが、キール(デヴィッド・オイェロウォ)を司令官に、シュミット(ダニエル・ブリュール)、モンク(ジョン・オーティス)、タム(チャン・ツィイー)ら乗組員たちは実験を続けていた。
そして、装置を起動させるとシステムが無事に起動し、乗組員たちも実験に成功したと喜びを共有する。だが、システムが突然にトラブルを起こして宇宙船に火災が発生。乗組員たちは消火と修理に追われる一方で、地球との交信も途絶えたうえに地球がどこにも見当たらないことに気が付きました。その後、壁の配線スペースからなぜかエヴァのことを一方的に知っているミーナ・ジェンセン(エリザベス・デビッキ)という見知らぬ女性が現れたり、体調に変調をきたしたヴォルコフ(アクセル・ヘニー)が体の中から虫が飛び出て心肺停止に陥ったり、船内の修理をしていたマンディ(クリス・オダウド)の右腕が壁に吸い込まれ、分離された右腕が勝手に動き出したりと、次々と異変が起こる。一方、地球ではマイケルはクローバーフィールドが消息を絶ったという知らせを受け、街では次々と爆発が起きて混乱に包まれていた。
そして、マンディの右腕がひとりでに動いて記したように、ヴォルコフの身体のなかからジャイロが見つかり、ようやく地球の位置を探り当てる。すると地球上では「クローバーフィールド」が落下したという報道がされており、シェパード粒子加速器が生み出した莫大なエネルギーによってオーバーロードが発生し、その影響で宇宙船が別次元に飛ばされたことがわかる。子どもを亡くして宇宙船に乗り込んだエヴァは、その別の地球では子どもたちと仲睦まじく暮らしており、エヴァはどちらのもとの世界に戻ることをためらうのだった。
宇宙船クローバーフィールドのなかで次々に起こる異常現象は、つまりはパラレルワールドへと迷い込んだことの結果だったというわけだが、こうしたクローバーフィールドをめぐるSF的な展開は非現実すぎると感じざるをえない。むしろこうした狭い閉鎖的な空間で、次々に起こる超常現象を対処する乗組員たちの物語として見るべきだろうか。乗組員たちはアフリカ系アメリカ人のエヴァをはじめ、ドイツ系のシュミット、中国系のタムなど、国際色豊かで、現代的な設定となっているが、それぞれのキャラクターの掘り下げもなされないので、群像劇としての魅力もやや弱い。
その意味で、ググ・バサ=ローラストが演じるエヴァの物語としてわかりやすく絞ったほうがよかったような気がする。ラストでは子どもたちが生きているもう一つの地球ではなく、壊滅状態にあるもとの地球に戻ることを決意するエヴァは、彼女はもう一つの地球のもう一人の自分に向けて、子どもの死因となった火災を未然に防ぐよう伝え、シェパード粒子加速器の設計データなどのメッセージを送る。彼女は人類の命を救う女性となることが示唆されて映画は終わる。エヴァという名前が予告するように、キリスト教的な解釈を可能とするもので、つまりは黙示録を意識した物語なのだろう。その意味で、やや観念的ではあるのだが、『クローバーフィールド/HAKAISHA』の精神的な続編と呼ぶことを確かに可能にはする。
制作費用がかさみ過ぎたために劇場公開は断念されたそうで、たしかにクローバーフィールドまわりの描写にはCGがふんだんに使われている。監督は、素晴らしいクオリティだった『ルース・エドガー』(2019年)のジュリアス・オナーなのだが、作家論的な視点で見ることはあまりできなかった。
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