バディムービーとは何か?映画のなかの二人組:序説

バディムービー(Buddy film)とは何か? この一見すると単純な問いに答えるのは容易ではない。ある特定の映画作品についてバディムービー的な要素がある、というのは簡単だが、ジャンルとして説明するのは思ったよりも難しい。ここからバディムービーについて、具体的な作品に即して考えていきたい。

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まず、バディムービーを定義することはできるのか、という問題がある。一応の定義らしきものは掲げることはできる。たとえば、2人組(多くの場合、両方とも男性)が冒険、探求、または遠征に出かける映画ジャンルであり、2人は性格は対照的であったり、人種の違いによってコントラストが強調されることが多い、とおおよその見当はつく。

もちろんこの定義に合致しないバディムービーも多数あるし、ジャンルの限界を乗り越えようとする作品は数多く作られている。たとえば有名な『テルマ&ルイーズ』(1991年)は男性中心的なジャンルの枠組みに挑戦しようとしたものであるし、あるいはより穏当な作品であれば人種的な問題は強調されることはないだろう。

ともあれ重要なのは、ジャンルの定義を確定することでもなく、ある映画を俎上にあげてバディムービーであるかどうかを検討することでもない。この連載では広くジャンルの射程を広げて、映画のなかに登場する二人組が物語にどのようなダイナミズムを与えるのかを考えることを目指したい。

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見取り図としては、まずジャンル的な観点からジャンルを考えたい。いわゆるローレル&ハーディ、バッド・アボットとルウ・コステロ、ボブ・ホープとビング・クロスビーの「珍道中シリーズ」、ジェリー・ルイスとディーン・マーティンの「底抜けシリーズ」、そして『メン・イン・ブラック』シリーズなど、連綿と続くコメディとしてのバディムービーがある。こうした作品群は、ある意味でジャンルのパロディとして見るべきなのか? という問題がある。

次に1980年代に隆盛したような、いわゆる一般的にバディムービーの代表的な作品として認知されている『48時間』『リーサル・ウェポン』『ビバリーヒルズ・コップ』といったシリーズものがある。これは完全にアクション映画として受容されているものであるが、1990年代に入ってジャンルは複雑化していく。

そう考えるなかで、ジャンルのひな形となるような作品は『手錠のまゝの脱獄』(1958年)だろう。この映画では、手錠で互いに繋がれた黒人と白人の囚人(シドニー・ポワチエとトニー・カーティス)が当初は激しく反目し合いながらも次第に絆を深めていくことになる。二人組の男性が脱獄という同じ目的のために、人種的な葛藤を乗り越えて強調しながら友情を深めるという物語は、まさに先ほど掲げた定義の一例にぴったり当てはまる。

ひとまず、この『手錠のまゝの脱獄』で一つの完成を見ると考えて、バディムービーを考えていこう。1930年代から60年代あたりまでのコメディとしてのバディムービーから『手錠のまゝの脱獄』へ、その後にはアメリカンニューシネマなどと合流し、ロードムービーの要素を帯びたバディムービーが製作される。80年代にアクション映画のシリーズものの隆盛を見たのち、現代にいたる複雑多様化するジャンルの様相へ。こう素描して、ジャンルとして根幹をなす要素は何かを抽出していくことにする。(続く)

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