『ボーダー 二つの世界』
Gräns
2018年、スウェーデン・デンマーク、アリ・アッバシ監督
原作者はヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストで、日本では『ぼくのエリ 200歳の少女』の原作者として知られているようだ。印象としては不思議なものを見たな、というのが正直なところだが、この鑑賞後の感触というのはなかなか味わえない体験であるのも事実である。グロテスクでありながら、現実世界のメタファーとなるようなファンタジックな要素もふんだんに盛り込まれている。
物語の主人公となるのは、スウェーデンのとある税関に勤めるティーナ(エヴァ・メランデル)である。彼女は違法な物を持ち込む人間を嗅ぎ分ける特別な能力を持っているのだが、生まれつきの醜い容姿に悩まされながら、性格の荒い同居人と凶暴な飼い犬とともに孤独な生活を送っていた。ある日、勤務中に怪しい旅行者ヴォーレ(エーロ・ミロノフ)を呼び止める。証拠が出ず入国審査をパスするも、ヴォーレに本能的なものを感じた彼女は、後日、彼を自宅に招いて離れを宿泊先として与える。次第にティーナは、自分と似た顔の構造を持つヴォーレに惹かれていくが、彼にはティーナの出生にも関わる大きな秘密があった。
彼らの出生の秘密とは人間とは異なる生物であること、つまりは広い意味での「エイリアン」であることだ。彼らは人間でいう男性的な見た目であるヴォーレが実は女(つまり子どもを出産する)であり、女性的な見た目のティーナが男であることも判明する。そのことを自覚していないかったティーナは人間の女性として生活していたが、ヴォーレに心を寄せるなかで、種としての本能に目覚めていく。そんななかティーナは、ヴォーレが人間そっくりな子どもを出産し、それを人間の赤ん坊と取り替えて人身売買をしていることを知る。ヴォーレいわく、これは自分たちを差別してきた人間への復讐である。ティーナは二つの世界のどちらで生きるべきか、揺らいでいく……。
ティーナとヴォーレの相貌は一見するとネアンデルタール人のような雰囲気が感じられるが、おそらく彼らには先住民族の「サーミ人」の存在が重ね合わされているとみることができる。スウェーデンやノルウェーなど先進国家でありながら、長きにわたって人種的差別を続けてきたという負の側面があるのはよく知られており、サーミの人々が人類学的な対象として扱われてきたことはサーミ人の監督とキャストによって作られた『サーミの血』(2017)という映画でも描かれていることだ。
ティーナが人間界で生きていけるのは、いってしまえば「役に立つ」からである。税関では特殊な能力によって、一人の男性の手荷物から、ある組織的な幼児虐待の証拠となるSDカードを発見するなど、素晴らしい手腕を発揮する。だが、それは移民への同化政策の寓話とも読むこともできる。そういった幸運な能力を持ち合わせていない者たちはどうしているのか? 彼女はたまたま人間と同じ権利を与えられていただけなのかもしれない。
そしてもう一つ、ヴォーレが生まれたばかりの人間の子どもを、自分の産んだ子ども(人間そっくりだが、何かがおかしい……)と取り替えるいうのは、ケルト神話などのヨーロッパの伝承譚でいう「取り替え子(チェンジリング)」を露悪的に変奏させたものだということができるだろう。など、さまざまな解釈を促されるのだが、この映画がいわゆる人種的な差別といった現実の問題を寓話的に描くということに主眼があるわけではなさそうだという感じもするし、テイストは極めてリアリスティックで、もはやグロテスクなほどだ。物語のラストでティーナが選択する行為というのも両義的であり、胸をすくものではない。作り手の意図はあえて曖昧にされており、私たち観客を試しているようでもある。
ともあれ凡庸な言い方をすれば、独創的で寓話的な物語からは多様な解釈ができる作品であることは間違いない。主人公のルックスは不思議な感情を呼び起こすものだし、ここにルッキズムへの挑戦があるとも見てよいかもしれない。その意味でも、作り手は極めて挑戦的であるといえるし、見るものを選ぶ作品であることも間違いない。だが、タイトルであるボーダーの意味を考えながら、見るべき作品であることも間違いない。
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